保育士 派遣 枚方市
枚方は、江戸時代には大坂・八軒屋浜と京・伏見を往来する三十石舟の中継地として賑わいました。江戸時代は淀川が高速道路。幕末の志士や新撰組隊士も川船を利用したのです。明治時代の終りには京阪電車が開通し、大阪と京都の中間という地の利を生かし住宅地として開け、昭和31年からは香里団地の開発が始まり、「東洋のマンモス団地」として注目を浴びました。現在も京阪沿線を中心に、枚方市は大阪・京都のベッドタウンとして人気があります。通勤に便利ゆえに共働きの家庭が多く、最近では幼稚園よりも保育所のニーズが高まっているようです。
枚方市の保育所で特筆すべきなのは、市制65周年記念冊子「ひらかた今昔」でも取り上げられている中宮保育所です。昭和24年に枚方初の公立常設保育所として設立されました。戦後の混乱期、夫を亡くした母子家庭を支えるために作られ、定員は3才から5才児までの100人でしたが、困っている子どもはすべて引き受けようと保育士さんたちは奮闘していたといいます。物資のない時代です。給食の野菜などは近所の農家から差し入れしてもらったこともあるとか。地域の人に支えられ歴史を刻んできた中宮保育所。場所は移転しましたが、現在でも子ども達が元気に通っています。
枚方市には、17カ所の公立保育所、54カ所の私立保育園があり、6000人の子どもが通っています。夜間保育や休日保育、簡易保育施設、病児保育室、児童発達支援センターなど独自の取り組みもなされていて、保育士を必要とする職場は多岐にわたってあります。派遣で働くことも可能です。夜間や休日はとくに派遣スタッフが活躍する余地が多いと思われます。子ども達にとっては、派遣も正社員も年齢もキャリアも関係ありません。大好きな先生、ただそれだけです。子どもが好き!という気持ちさえあれば、派遣の方が活躍の場が見つかりやすいかもしれません。地元で、かつての中宮保育所の保育士さんのように地域の子どものために働くのもいいですね。